http://www.asahi.com/national/update/0905/TKY201009050337.html
戦時中に関東軍が収集した旧ソ連関係の情報などを、敗戦直後、日本が米国に大量に提供したことを示す資料が、米国立公文書館に保管されていることが分かった。日本軍の特務機関の活動や、敗戦直前にソ連軍が参戦した際の戦況の詳報など貴重な資料もある。
「業務ニ関スル綴(つづり)」と題された冊子は、・・・終戦翌年の1946年、日本を占領・統治した連合国軍総司令部(GHQ)から、旧満州に駐留した関東軍の上級将校の名簿や特務機関の機能の詳細について報告するよう指示があったことが記載されている。
敗戦時、大本営などにあった資料の多くは焼却処分されたと言われる。第一復員省はGHQの指示を受け、国内にいた関東軍の元将校らに情報提供を呼びかけたり、未処分の手持ち資料を提出するよう求めたりしたと見られ、それらが提供されたようだ。
保管された資料の中にある41年8月の「最近ノ戦史ニ基ク『ソ』軍ノ特性」は、参謀本部がノモンハン事件などを元にソ連軍を分析したもので、「如何(いか)ナル犠牲ヲ払フモ顧慮スルコトナク作戦ヲ遂行スル強引ナル傾向顕著ナル点ハ彼ノ一特性トシテ注意ヲ要スルモノト認ム」と指摘している。
戦後に陸軍の元参謀からソ連の諜報(ちょうほう)組織について聞き取りをしたとみられる調書もある。ソ連の諜報活動を詳述し、中国共産党とソ連の諜報部との関係について「緊密な連絡があり中国に於(お)ける日本軍の配置、活動状況等がソ連に筒抜けになってゐた」と記載している。
・・41年にドイツとソ連が開戦した後、「多数ノソ軍正規兵(将校モアリ)ガ満領内ヘ逃亡シテ来タ(2日ニ1人ノ割合位ト思フ)ガ其(そ)ノ内ニ相当多数ノスパイガ居タ」・・
・・終戦直前の45年8月にソ連が対日参戦した時の「日ソ戦綴」には「黒河南北地区ニ於テ敵ハ全面的渡河ヲ開始セルモノノ如シ(兵力不詳)」など戦況が方面ごとに詳述されている。
加藤助教は「米国は・・・ソ連の情報がほしかった。・・・敵同士だった旧軍と米軍が、『ソ連情報』を媒介としてつながっていく過程が分かる」と話している。