何かを察していたルーズベルト
FBIホノルル支部長は攻撃を知っていた
ハワイ大学に、初代ハワイ州知事ジョン・バーンズの口述歴史(オーラル・ヒストリー)が保管されている。[*19](ハワイは1959年に州へ昇格した。)
1941年12月初旬に体験したエピソードを彼は次のように語っている。バーンズはその時ホノルル警察の諜報局長だった。
「シバース(FBIホノルル支部長ロバート・シバース)がある日私を呼んだ。戦争が始まる一週間ばかり前の事だった。『ドアを閉めろ』と彼は言った。『私の部下には話さないが君には話しておく。われわれは、一週間以内に攻撃される』そう言って、彼は涙を流した」
ジョン・バーンズは、シバースの要請で、部下四人を使って日系人社会の動情を密かに探らせた。
日系人社会に不穏の兆しはなかった。が、シバースの予言通り、ホノルルは12月7日(ハワイ時間)に攻撃されたのである。
バーンズは1995年に死去したが、私がこのオーラルヒストリーの存在を知って調べに行った1982年には、彼の部下の4人のうち3人が健在で、3人とも、バーンズの語っていることは事実だ、と証言した。
シバースが、その情報が、ワシントンのFBI本部から直接シバースに来たことを示唆している。(P142~143)
- [*19]ジョン・バーンズ口述歴史(オーラル・ヒストリー)、ハワイ大学図書館、1975年
- John A. Burns - Wikipedia, the free encyclopedia
- Pearl Harbor Legacy - Remembering Robert Shivers
フーヴァーFBI長官は絶対的な警戒態勢を敷いた
そのFBI長官のフーヴァーは、一度だけ、真珠湾攻撃について証言したことがある。
1945年11月上下両院合同調査委員会のギアハード下院議員とキーフ下院議員の非公式な事情聴取に応じたものだが、両議員の記者会見での報告によれば、フーヴァーの証言は次のようなものだったという。
「1941年11月26日にフーヴァーは、太平洋の諜報部員が入手した情報を受け取ったとき、彼は"非常に明確なメッセージを"太平洋地域の全捜査官に発した。
それは、その時点から真珠湾攻撃のまさにその瞬間まで、絶対的な警戒態勢を取るべしとの指示であった。その結果、全ての休暇は取り消され、自分の持ち場や電話から三十分以上離れることは許されなかった」
フーヴァーの証言は、他の例から推しても、いろいろな事実を織りまぜて、別の物語に作り上げられている可能性があるので、気をつけなければならないが、関係者が多く生存していたであろう1945年に、新聞公表を前提にしての証言であったから、ある程度の信憑性はあると思われる。
11月26日に「太平洋の諜報部員」が入手したという情報に該当するのは、マニラのイギリス秘密情報部がホノルルの陸軍情報部と海軍情報部、そしてFBIホノルル支部長に宛てた概略は次のような情報である。
「A 日本は宣戦布告なしに、バンコクとシンガポール、クラ海峡(筆者注、マレー半島)を、12月1日に攻撃するであろう。
B 攻撃部隊は、海南島と台湾から、進出してくるであろう」
日付はマニラ時間の11月27日で、ワシントンやハワイではまさしく26日である。
フーヴァーは全ての捜査員に警戒を命じたと言っている。しかし、シバースがバーンズに語ったのは、部下にも言ってはならない情報であり、シバース自身が涙を流すような情報なのだ。
バーンズは嘘を言うような人物ではない。とすると、シバースはフーヴァーからどんな情報を知らされたのか。(P143~145)
ルーズベルトは「私に任せて欲しい」と言った
私が、ホノルルにバーンズのオーラル・ヒストリーを調べに行ったちょうどその頃、真珠湾攻撃直後に内輪の会合で、フーヴァーが真珠湾についてスピーチしたのを直接聞いた人がいるという情報をつかんだ。その人とは、ピッツバーグ市の基金調達会社「ケッチャム社」の会長、カールトン・ケッチャム氏である。
私はピッツバーグへ言ってケッチャム氏と会った。彼は九十歳だったがしっかりした口調で話してくれた。回戦当時、ケッチャム氏は五十歳、既に陸軍を退官していたのだが、開戦と同時に軍の人事関係の任務に服役した。
1942年2月、彼は、友人の議員J・ベンダーに誘われて、ある会合に出席した。その会は夕食会だったが、そこで話されたことについては一切他言無用というきまりがあった。その夜の特別ゲストが、FBI長官のフーヴァーだったのだが、彼のその時のスピーチは、要約すると次のようなものだったという。
「1941年9月頃から、極東の機密情報部員から、パールハーバーやクラークフィールド基地(フィリピン)が攻撃されそうだという情報が届いた。アジアの他の情報筋からも同様の情報が何度か届いたが、そのつどフーヴァーはルーズベルトに報告した。
大統領は、その件は私以外の誰にも漏らすなと言ったが、パールハーバー攻撃の一週間ほど前に、極東から詳細な警告がホワイトハウスに届いた。
フーヴァーはルーズベルトに、パールハーバーの司令官にその警告を知らせるべきだと言ったが、ルーズベルトは、私に任せて欲しい、と答えた。
攻撃の二、三日前に日本艦隊が太平洋を、日本からハワイへ向けて飛んでいるのが発見されたという情報を、フーヴァーはホワイトハウスに行った際に知らされた。
民間人が無線をキャッチして、軍のオフィスに通報し、それがホワイトハウスに届いたのだという。パールハーバーが3日くらい後に攻撃されるだろうことは、その位置から推測できた。
オランダ領東インドからも似た警告が来た。パールハーバーとは特定していなかったが、攻撃が近いということだった」
以上がケッチャム氏が語ったフーヴァーのスピーチの要約である。
注意せねばならないのは、フーヴァーが、リベラリストのルーズベルトを嫌っていたという事実である。こうした秘密の会合での内密の打ち明け話は、フーヴァーにとっては、ルーズベルトの失策をあげつらうには絶好の手段であっただろう。フーヴァーのレトリックには、そうした隠された意図があったと心得ておかねばなるまい。
それでもなお、フーヴァーのスピーチには、「予知」問題を考えるうえで、無視しがたい内容が含まれているのである。
そのひとつが、オランダ領インドシナからの警告である。これが、テル・ポールテン将軍からの「日本艦隊千島列島集結」をふくむ警告を発していることは、「パールハーバーとは言っていなかったが」の条件付きを含めて明白である。
もうひとつは・・・一二月二日から数日間、民間の無線通信会社が太平洋上の電波を捉え、サンフランシスコの第一二海軍区の情報部<ロバート・>オッグが太平洋上にその発信地点を特定し、その結果を同区情報部長のマラカウがホワイトハウスへ伝えたという証言(注1)とぴったり一致するのである。(P145~147)
- ハイン・テル・ポールテン - Wikipedia
- 真珠湾攻撃陰謀説 - フーヴァー長官とケッチャム証言 - Wikipedia
- (注1) 真珠湾攻撃の真実 今野勉氏は、民間の電信局が方位測定したという電波は、<南雲機動艦隊ではなく、船橋の>東京通信隊の放送に間違いない<つまりロバート・オッグの誤分析が結果的に正確な情報になった=帝国海軍の真珠湾攻撃時の無線封止は最後まで破られなかった>と述べている
上掲の史実についてネット上であまり良い情報が見当たらないので、長々と書き出してみましたが、いかがでしょうか。
米国からすれば、帝国海軍の攻撃先がハワイかフィリピンかなんてのは二の次で、重要なのは日本側に米国領内に先制攻撃させて、それを利用して孤立主義的な米国民を扇動して欧州戦線にに裏口参戦することであり、米国政府はその戦略にまんまと日本を引っ掛けることに成功し、日本は日本政府内外の共産主義者の暗躍もあってまんまと引っ掛かってしまった。
しかし、その引っ掛けてきた米国政府でも、日本政府と同じように、多数の共産主義者(及びシンパ)が暗躍して内部から情報操作等しており(+おそらく英国政府でも+間違いなく中国国民党でも)、スターリンや尾崎秀実たちの構想通りの日米英戦争(=日本による対ソ参戦の可能性の消滅、大英帝国崩壊、日本敗戦革命及び東アジア共産主義化)へと突き進んでいったところ、そのうち日本の敗戦革命だけは昭和天皇のご聖断とGHQの逆コースによって、既のところで食い止めた。
そして敗戦後、戦前・戦中に帝国陸軍が行っていたものの、赤露によるイデオロギー侵略と共産主義者の妨害によって大失敗した赤露抑止戦略を、昭和天皇以下の日本人が米国に継受
継承し、1991年の赤露崩壊によって戦前の日本の悲願は成就された。残す東アジアのマクロ的な課題は、北朝鮮政府の崩壊させ、また中共をなるべく安定的に民主化へと移行させ、マルクス主義の残骸を東アジアから一掃することである。
ただし、安全保障を戦後70年以上も米国に丸投げしてきてしまったことや、利用していた軍人たちに罪を押し付けて逃げおおせた連中(共産主義者や進歩的文化人)やそのイデオロギー上の末裔たちの現在に至るまでの悪質な情報操作による日本人の歴史観・世界観の混乱により、日本人知識人が白痴化している(特に安全保障の面で)・・・もういい加減米国から「(軍事的に)独立」しませんか?・・・ということだと今のところ私は考えています。
あと、プロの歴史家の皆さんに言いたいんですけど、これ↓をちゃんとやりませんか?(やってます?)
本書を書き終えて強く感じたことは、日本では未だにコミンテルンやマルクス主義者に関する歴史を書けないということである。
それはコミンテルン関係の資料が少ないだけでなく、コミンテルンの陰謀に荷担した、あるいは操られていた著名な学者や大新聞などが未だマルクスの主張した社会主義(共産主義)に共鳴したり、都合の悪い部分を隠蔽しすり替えているからである。
さらに、ゾルゲ事件でスパイとして摘発された尾崎秀実を平和主義者、あるいは反権力運動の英雄とすりかえ、さらにこれらの著名な学者や新聞が日本では進歩的な自由主義者として大きな影響力を持っており、筆者を含めた研究者が学会や言論界から排除されることを懼れ、自らを江藤淳が指摘する『閉ざされた言語空間』に閉じ込めているからである。
しかし、コミンテルンの日本の近現代史に及ぼした影響を解明しない限り、真の昭和史は永遠に完成しないのではないだろうか(第二次世界大戦と日独伊三国同盟-海軍とコミンテルンの視点から331ページ)。
閉ざされた戦史研究−第二次世界大戦と日独伊三国同盟−海軍とコミンテルンの視点から: 森羅万象の歴史家
私から見ると、あんたら本当に戦前・戦中について反省する気あるの?って言いたいぐらいなんだけど・・・。
(何でそこそこの戦前史オタクの私でさえ、昨年まで尾崎秀実らについて表層的にしか知る機会が無かったんだよ。一般人なんか尚更分からないじゃねーか。戦前・戦中の東アジアおけるマルクス主義の悪影響について語ることから逃げる歴史家なんて詐欺師に近いわ。これは日本の戦中史の核心だ、フザケンナ。(怒))