Wikipedia「ハル・ノート - アメリカ政府の意図」の項より抜粋

ハル・ノート - アメリカ政府の意図 http://goo.gl/S39Y6K

スティムソン陸軍長官の日記によると、11月25日の会議の内容を「大統領は、“日本人は元来警告せずに奇襲をやることで悪名高いから、米国はおそらくつぎの月曜日(12月1日)ごろに攻撃される可能性がある”、と指摘して、いかにこれに対処すべきかを問題にした。当面の問題は、われわれがあまり大きな危険にさらされることなしに、いかにして日本側に最初の攻撃の火蓋を切らせるような立場に彼らを追いこむか、ということであった。これはむずかしい命題であった」と書いている[57][58]。

[57] - 『太平洋戦争秘史 -米戦時指導者の回想』 121頁
http://goo.gl/RRp0T0

[58] - Henry L. Stimson - Secretary of War (2nd term)
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_L._Stimson#Secretary_of_War_.282nd_term.29

Ten days before the Attack on Pearl Harbor, Stimson entered in his diary the following statement: [Roosevelt] brought up the event that we are likely to be attacked perhaps next Monday, for the Japanese are notorious for making an attack without warning, and the question was what we should do. The question was how we should maneuver them into the position of firing the first shot without allowing too much danger to ourselves.

また、日記によると、11月27日にはハルがスティムソンに対して「自分は日本との暫定協定を取りやめた。私はこのことから手を洗った。今や問題は貴方及びノックス海軍長官 即ち陸海軍の掌中にある」と伝えたとされる。同日、ルーズベルトはスティムソンに対して「日本は打ち切ったが、しかし、日本はハルの準備した立派な声明(ハル・ノート)によって打ち切ったのだ」と言ったという[59]。

[59] - 『現代史資料34 太平洋戦争1 16頁』 http://goo.gl/zOZEWH

翌28日、ハルは軍事評議会においてハル・ノートを説明した際、「日本との間に協定に達する可能性は事実上なくなった」と述べた。29日、ハルはイギリス大使に「日米関係の外交部面は事実上終了し、今や問題は陸海軍官憲の手に移ったこと、アメリカその他の太平洋関係諸国は、日本が突然不意に行動をとり、あらゆる態様の奇襲を行う可能性を算入せずして、抵抗計画を立てる事は重大な誤りであること」を述べ、オーストラリア公使の日米間の調停の申し出も、外交上の段階はすでに過ぎたと拒否している[60]。

[60] - 『太平洋戦争外交史』http://goo.gl/zcCzP7

米国側も日本との外交交渉を行う上で、事前にまとめていた日本に関する詳細なレポート(日本の内情に関するレポートや日清・日露戦争の経緯と経過、そして交渉が決裂した場合の日本側の行動予測などに関するレポート)と暗号解読機「マジック」による日本政府(外務省)の暗号電文の解読によって、日本政府が戦争に踏み切るだろうと事前に予測していた。アメリカは傍受電報から日本が交渉期限を11月25日まで(後に29日まで延長)としたことを掴んでおり(ハル曰く「日本はすでに戦争の車輪をまわしはじめている」[63])、ハルノート提示翌日には、太平洋艦隊及びアジア艦隊各司令官に対し「ここ数日内に日本が侵略的行動を採るものと予想される」として「戦争警告」が発せられている[64]。

[63] - 『ハル回顧録』 http://goo.gl/rs4Wf

[64] - 『現代史資料34 太平洋戦争1』 http://goo.gl/zOZEWH