武藤章 尾崎秀実 ゾルゲ

Wikipedia 武藤章
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4%E7%AB%A0

生涯

1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件に際しては、参謀本部作戦課長として、不拡大方針をたてた上司の作戦部長石原莞爾とは反対に対中国強硬政策を主張し、12月には中支那方面軍参謀副長として現地に赴く。1938年(昭和13年)7月、北支那方面軍参謀副長に転任した。

1942年(昭和17年)4月にゾルゲ事件の発覚等により更迭

逸話

尾崎秀実と親しかった。

支那事変勃発の際、参謀本部作戦課長であった武藤は、軍事課長の田中新一に電話をかけ、「ウン田中か、面白くなったね、ウン、大変面白い、大いにやらにゃいかん。しっかりやろう」と課員に聞えよがしに大声で話していたという[2]

[2]上法快男『陸軍省軍務局』 http://goo.gl/NwUXe1


Wikipedia 尾崎秀実
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E7%A7%80%E5%AE%9F

・・・評論家・ジャーナリスト・共産主義者。朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。

近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。

共産主義者、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして活動し・・・た。

評論と政治活動

評論家としては、中国問題に関して『朝日新聞』『中央公論』『改造』で論陣を張った。

1937年(昭和12年)年7月に盧溝橋事件が起こると、『中央公論』9月号で「南京政府論」を発表し、蒋介石の国民政府は「半植民地的・半封建的支那の支配層、国民ブルジョワ政権」であり、「軍閥政治」であるとして酷評し、これにこだわるべきでないと主張した。

9月23日付の『改造』臨時増刊号でも、局地的解決も不拡大方針もまったく意味をなさないとして講和・不拡大方針に反対、日中戦争拡大方針を主張した。11月号では「敗北支那の進路」を発表、「支那に於ける統一は非資本主義的な発展の方向と結びつく」として中国の共産化を予見した。

1938年(昭和13年)・・・『改造』5月号で「長期抗戦の行方」を発表し、日本国民が与えられている唯一の道は戦いに勝つということだけ、他の方法は絶対に考えられない、日本が中国と始めたこの民族戦争の結末をつけるためには、軍事的能力を発揮して、敵指導部の中枢を殲滅するほかないと主張、また『中央公論』6月号で発表した「長期戦下の諸問題」でも中国との提携が絶対に必要だとの意見に反対し、敵対勢力が存在する限り、これを完全に打倒するしかない、と主張して、講和条約の締結に反対、長期戦もやむをえずとして徹底抗戦を説いた。

共産主義

逮捕後の取調べでは、「我々のグループの目的・任務は、狭義には世界共産主義革命遂行上の最も重要な支柱であるソ連日本帝国主義から守ること」と供述している[8]。

[8]1942年3月8日、第22回調書


尾崎の獄中手記より(三田村武夫による要約)

http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/pacificwar/sorge.html

1,コミンテルンの支持及びソ連邦の防衛
2.日本及びアジアの革命
3.第二次世界大戦を通じての全世界共産革命の完成


歴史の中の尾崎・ゾルゲ事件
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/isidou.htm

尾崎・ゾルゲ事件の見方

ドイツで出ているゾルゲの伝記(Jurius Mader・Dr.-Sorge Report.1984)には、当時東京でゾルゲに自発的に情報を提供したという人のリストが載っています。・・・なかでも目をひくのが、陸軍省軍務局長の武藤章・・・この武藤が、ゾルゲをたいへん信頼していて、憲兵隊長を呼びつけて「ゾルゲ先生にあらゆる情報を提供せよ」と軍務局長の名で命令しています。軍務局長の命令ですから、軍の各級の参謀将校であれ、軍政関係の将校であれ、進んでゾルゲにいろんな情報を提供しました。

敗戦前夜の満鉄調査部事件と尾崎の調査

尾崎は当時満鉄の顧問、しかもただの顧問ではなく非常に高い地位の顧問で、その背後には近衛がいるということをみんな知っていますから、満鉄の幹部は右であれ左であれ、いかにしてこの尾崎に接近するかということに腐心しています。尾崎に接近することは同時に近衛政権に接近することでもありますから、みんな争って尾崎のところに顔を出す・・・引く手あまた、みんな争って尾崎に情報を提供しようとした。

尾崎がその気になれば、満鉄の重要な情報は何でも手に入った。ゾルゲにたいして武藤章陸軍省軍務局長を先頭にあらゆる人が情報を提供したように、尾崎にたいしてもあらゆる人が情報を提供したわけです。